陰謀論だと笑われてもいい。
正直、そう思うようになった。
メディアを疑うと、
すぐに「考えすぎ」「陰謀論っぽい」と言われる。
でも、何も疑わないほうが安全だとは、どうしても思えなかった。
ニュース。
専門家のコメント。
世の中の空気。
それらが本当に中立なのか。
誰の得になる形で作られているのか。
考え始めると、
情報だけじゃなく、
自分の収入のあり方まで気になってきた。
政治も。
メディアも。
完全に信用できないのに、
お金のことだけは何も考えずに任せていた。
ただ、
疑うことをやめなかった結果、
行動が少し変わった話だ。
陰謀論を信じるかより、「疑えるか」の方が大事だった
正直に言うと。
UFOがどうとか。
裏で誰かが世界を完全に操っているとか。
そこまで極端な話を、全部本気で受け取っているわけでもない。
ただ、
「少し疑問を持つこと」まで
まとめて陰謀論扱いされる空気には、違和感があった。
メディアは本当に中立なのか。
報道の順番や言葉選びに、意図はないのか。
スポンサーや大企業の影響は、本当にゼロなのか。
こういう問いを立てるだけで、
話が止まる。
笑われる。
距離を置かれる。
でも、
疑うこと自体が悪なら、
考えることそのものが不要になる。
それって、
かなり危ない状態なんじゃないかと思った。
陰謀論を信じるかどうかより、
疑問を持てるかどうか。
立ち止まって考えられるかどうか。
そのほうが、
よっぽど大事なんじゃないか。
そう考えるようになってから、
ニュースの見え方が少し変わった。
疑う力を持たない人ほど、全部を任せてしまう

正直、それは本当だと思う。
ニュースを見て。
言われた通りに理解して。
深く考えずに流す。
でも、その楽さの裏で、
いろいろなものを
丸ごと誰かに預けてきた気がする。
情報。
判断。
将来の見通し。
気づけば、
「専門家が言っているから」
「テレビでやっていたから」
それだけで納得する癖がついていた。
疑わないというより、
疑う余裕がなかったのかもしれない。
仕事があって。
生活があって。
考える時間がなくて。
そうやって、
考えなくても回る仕組みに
すっかり乗っかっていた。
でも、
全部を任せたままにしておくと、
うまくいかなかった時に
自分では何も修正できない。
それが一番怖いことだと、
あとから気づいた。
政治も信用できないのに、収入だけ丸投げなのは変だった

政治は疑う。
メディアも疑う。
それなのに、
自分の収入については、
ほとんど疑ってこなかった。
会社に任せる。
給料日に振り込まれる金額を見て、
今月もこんなものか、で終わらせる。
制度が変わっても。
税金が上がっても。
社会保険料が増えても。
「仕方ない」で片付けてきた。
よく考えると、
ここが一番おかしかった。
政治も。
メディアも。
信用しきれないと思っているのに、
生活の土台である収入だけは、
何も考えずに預けていた。
もし、
情報が操作されている可能性があるなら。
制度が自分に不利に動くことがあるなら。
その影響を
一番強く受けるのは、
結局お金の部分だ。
なのに、
そこだけ無防備だった。
この矛盾に気づいたとき、
さすがにまずいと思った。
自分で守るために、できることから始めただけ

会社を辞めるとか。
大きな勝負に出るとか。
そういう話でもない。
ただ、
「全部を任せきりにする状態」から
少しだけ距離を取りたかった。
リスクを抑えた形で。
小さく試せるものを選んで。
自分で確認できる範囲で。
そうやって探していく中で、
たまたま使い始めたのがButterflyだった。
特別な魔法じゃない。
誰かに言われたからでもない。
陰謀論を信じたわけじゃない。
ただ、
考えるのをやめなかった。
今のところ、
それでいいと思っている。


