ニュースを見ていて、ふと引っかかる瞬間がある。
これは事実を伝えているのか。
それとも、考え方を誘導しているのか。
昔は、メディアは中立だと思っていた。
少なくとも、そう信じて疑わなかった。
でも最近は、その前提自体が揺らいでいる。
少し疑問を口にすると、
すぐに「陰謀論」という言葉が出てくる。
それ以上考えるな、と言われている気がする。
話題を終わらせるための
便利なラベルのようにも見える。
本当におかしな考えなのか。
それとも、見たくない現実から目をそらすための言葉なのか。
そんなことを考え始めたら、
ニュースを今まで通りには見られなくなった。
これは答えを出す記事じゃない。
ただ、メディアと情報操作と陰謀論が、
どうしてこんなにも近くにあるように感じるのか。
その違和感を書き留めておこうと思う。
メディアって、本当に中立なんだろうか

昔は、疑ったことすらなかった。
テレビや新聞は、
事実をそのまま伝えてくれるものだと思っていた。
少なくとも、
誰かの意図で操作されているとは考えていなかった。
でも最近、その前提が少しずつ崩れてきた。
メディアは「無料」では成り立たない
テレビを見るのに、お金は払っていない。
新聞を取らなければ、ほとんどの情報は無料で手に入る。
でも、考えてみるとおかしい。
スタジオ。
機材。
人件費。
取材費。
これだけのコストがかかっているのに、
本当に「何の見返りもなく」続けられるはずがない。
スポンサーの存在を、どこまで意識しているか
番組の合間に流れるCM。
そこには、誰もが知っている大手企業の名前が並ぶ。
金融。
医療。
エネルギー。
通信。
こうした企業がスポンサーとして入っている以上、
その企業にとって不都合な話題は、
自由に扱えるのか?
考えすぎだと言われるかもしれない。
でも、「全く影響しない」と言い切る方が不自然にも感じる。
中立を名乗ることと、本当に中立であることは違う
「公平に報道しています」
「事実をお伝えしています」
そう言われるほど、
逆に気になるようになった。
何を報じるか。
何を報じないか。
どの順番で流すか。
それだけで、受け取る印象は大きく変わる。
完全な中立なんて、そもそも存在するのか。
そんな疑問が、
頭から離れなくなった。
都合の悪い話題が、静かに消えていく違和感

ある時期まで、連日報じられていたニュースがある。
ワイドショーでも。
夜のニュースでも。
どこを見ても同じ話題だった。
「終わった」のか、「触れなくなった」のか
問題が解決したなら、それでいい。
でも、そうじゃないケースも多い。
説明がない。
総括もない。
「その後どうなったのか」も語られない。
ただ、消える。
まるで最初から存在しなかったかのように。
不都合な話題ほど、フェードアウトが早い
視聴率が取れないからなのか。
空気が悪くなるからなのか。
理由はわからない。
でも、
「大事な話ほど長く扱われない」
そんな印象だけが残る。
訂正や反省が、ほとんど表に出てこない
間違った報道。
誇張された表現。
ミスリードだった内容。
小さく。
短く。
誰にも気づかれない時間帯で。
なぜ、最初と同じ熱量で説明しないのか。
その疑問が、
またひとつ積み重なっていく。
「忘れる前提」で流されている気がする
情報が多すぎる。
次から次へと話題が変わる。
考える前に、次のニュース。
疑問を持つ前に、別の話題。
そうやって、
視聴者が考え続けないように
設計されている気さえしてくる。
考えすぎかもしれない。
でも、
何度も同じことが起きると、
偶然だとは思えなくなってくる。
情報が「事実」ではなく「方向」を持ち始めている

同じ出来事のはずなのに、
伝え方で印象がまるで変わる。
そのことに、前より敏感になった。
言葉ひとつで、意味は簡単に変わる
「問題が起きた」
「トラブルが発生した」
「想定外の事態」
どれも事実を説明しているようで、
受け取る印象は全然違う。
誰かの責任なのか。
仕方のないことなのか。
避けられなかったのか。
言葉の選び方だけで、
答えが用意されている気がする。
映像と順番が、感情を作っている
強い映像を先に見せる。
不安になるコメントを重ねる。
最後に、少し安心させる一言を添える。
そうやって見ていると、
「自分で考えた結論」だと思っていたものが、
最初から用意されていた道筋だったようにも感じる。
テロップやBGMが、考える余地を奪っていく
大きな文字。
強い色。
煽る表現。
そこに不安を煽る音楽が重なる。
落ち着いて考える前に、
感情が先に動く。
そして、その感情のまま次の話題へ進む。
「どう思うか」まで決められている感覚
事実を知る。
考える。
判断する。
本来は、この順番のはずなのに、
気づけば
「こう感じるべき」
「こう考えるのが普通」
そんな空気が先に流れている。
情報が、
ただの事実ではなく、
向かう方向を持ち始めた。
そう感じるようになってから、
ニュースを見る目が、
もう前と同じではなくなった。
「洗脳装置」という言葉が、頭をよぎった

最初は、そんな言葉を使うつもりはなかった。
少し大げさだと思っていたし、
使った瞬間に話が極端になる気もしていた。
でも、考えれば考えるほど、
別の言葉が見つからなかった。
強制されていないのに、同じ方向を向いている
誰かに命令されたわけじゃない。
考えるな、と言われたわけでもない。
それでも、
多くの人が同じ感情を持ち、
同じ結論にたどり着いていく。
不思議なほど、足並みが揃う。
疑問を持つと、空気が変わる
少し違う意見を言う。
ちょっと違和感を口にする。
それだけで、
場の空気が重くなる。
「考えすぎ」
「陰謀論っぽい」
「変な人」
そういう言葉で、
話自体が終わる。
考えなくなることが、いちばん楽になる
ニュースをそのまま受け取る。
深く考えない。
疑問を持たない。
そのほうが、確かに楽だ。
疲れない。
摩擦も起きない。
でも、それが続いた先に何があるのか。
それを想像すると、
少しだけ怖くなった。
洗脳という言葉を、笑い話で終わらせていいのか
洗脳と聞くと、
極端な例を思い浮かべる。
映画の中の話。
どこか遠い国の出来事。
でも、
気づかないうちに
考え方の枠を決められているとしたら?
それは、本当に洗脳じゃないと言い切れるのか。
答えは出ていない。
ただ、
「陰謀論」と一言で片付ける前に、
一度立ち止まって考えてみたい。
次の記事では、その話をもう少し掘り下げてみようと思う。

