最近、
「自由って何だろう?」
と考える時間が増えた。
昔は“お金さえあれば自由になれる”と思っていたけれど、
実際はそんな単純じゃなかった。
時間があっても、心が落ち着かないと自由とは言えない。
じゃあ自由の正体って何なんだろう。
ずっと追いかけてきたこのテーマについて、
今日は僕なりの答えを書いてみようと思う。
昔、僕が勘違いしていた“自由”のイメージ

正直、昔の僕は「自由=お金」と思い込んでいた。
お金が増えれば、好きな時に休めて、
好きなことができて、人生が軽くなる。
そんなイメージを勝手に描いていた。
でも実際はその逆で、収入が増えるほど責任も増えていく。
やることも、人との関わりも、気を使う場面も増える。
自由どころか、むしろ
“縛られるもの”
が増えていった感覚さえあった。
その時にハッとした。
「あれ、自由ってお金のことじゃないな」と。
この気づきが、自由をもう一度考え直すきっかけになった。
時間があっても自由とは言えない理由

じゃあ時間があれば自由なのか?
…そう思った時期もあったけれど、これも違った。
時間はあるのに、
将来が不安で休めない。
お金の心配がよぎる。
何をしていいかわからなくなる。
そこで気づいた。
自由は「時間の量」ではなく
「時間の使い方」にあるんじゃないか、と。
僕が辿り着いた“自由の定義”

いろいろ考えてきた結果、
僕の中でひとつだけハッキリした答えがある。
それは──
誰かに奪われず、
誰かに支配されず、
自分の時間のハンドルを自分で握っていること。
この感覚を手にした瞬間、
“あ、これが自由かもしれない” と腑に落ちた。
僕の中での自由の定義は、これに尽きる。
なぜ時間を選べる状態が自由なのか

この余白があるだけで、人生の景色がまったく違って見える。
今日どう動くかを自分で決められる。
休むか、働くか、学ぶか。
この小さな選択が積み重なるだけで、
人生の主導権が自分の手に戻ってくる。
不思議なもので、
選べる時間があるだけで、未来に対しての不安が確実に減っていく。
行動を“やらされる”のではなく、
“選んでいる”という感覚。
これこそが、僕にとって自由の一番の魅力だった。
自由の正体に気づけたのは大きな一歩だけど、
じゃあどうすればその“選べる時間”を手に入れられるのか。
その答えは、次の記事で書こうと思う。

