気づけばずっと、“誰かが作った正しさ”の中で生きていた。
頑張るのが当然。
抱え込むのが当たり前。
働いた分だけ報われるべき──そんな空気に疑いも持たずに。
でも、ある時ふと立ち止まってみたら、
「これって本当に自分が望んでた生き方なのか?」
そんなシンプルな疑問が湧いてきた。
そこから少しずつ、
昔は当たり前だと思っていた習慣や
価値観を見直してみた。
結果、驚くほど生きやすくなった。
というより、ようやく 自分の人生を歩き始めた 感覚に近い。
今日は、その3つについて語ってみようと思う。
「働く=正義」の考え方をやめた

休むことに罪悪感があって、
立ち止まると“負けた気”がして、
とにかく動き続けていれば人生は良くなると信じていた。
でも、ふと気づいた。
むしろ、疲れて判断力が鈍ったり、
大事にしたいものを後回しにしたり、
「誰の人生を生きてるんだろう?」と感じる瞬間が増えていった。
そこで思い切って、
“働く=正義” という価値観から距離を置いてみた。
すると不思議なことに、
自分の中に余白が生まれ、
「本当はどう生きたいのか?」を考えるスペースがやっとできた。
正しさより、自分の声を優先できるようになったのはこの頃だ。
「全部自分でやろう」とすることをやめた

頼るのが苦手で、任せるのが不安で、
結局、抱え込みすぎてパンクする──
そんなことを何度も繰り返していた。
でも冷静に考えると、
全部自分でやらなきゃいけない理由なんてどこにもなかった。
むしろ、頼ったほうがうまく回ることも多いし、
任せたほうがクオリティが上がることだってある。
何よりも、
「全部自分でやらないとダメだ」という思い込みが、
自分の時間も心も、どんどん狭くしていた。
そこで一度、
“人に任せる”
“ツールに任せる”
“仕組みに任せる”
という発想に切り替えてみた。
すると驚くほどラクになった。
抱えていた重さがスッと消えて、
自分がやるべきことに集中できるようになった。
そして気づいたのは、
頼ることは弱さじゃなくて、
人生を前に進めるための選択だということ。
「働いた分だけ収入が増える生き方」をやめた

確かにこの考え方はシンプルだし、分かりやすい。
だけど同時に、
“働けなくなった瞬間、収入も止まる”
という不安を抱える生き方でもあった。
ケガをしたら?
家族の事情で動けなくなったら?
気持ちが折れたら?
ある日、その仕組みにゾッとした。
「これって、僕の人生じゃなくて、
仕事の都合に人生を合わせてるだけじゃないか?」
そんな違和感が強くなっていった。
自分が動かなくても進むもの。
自分が休んでいても回るもの。
その視点で世界を見るようになったら、
生き方の選択肢が一気に広がった。
そしてようやく、
「収入のために生きる」のではなく、
「自分の人生のために動く」 という感覚を取り戻せた。
3つを手放して気づいたこと──自分の人生を生きる大切さ

- 「働く=正義」
→ 周りの価値観で自分を評価していただけだった。 - 「全部自分でやろう」
→ 人に頼ることが“悪いこと”だと勝手に思い込んでいただけだった。 - 「働いた分だけ収入が増える生き方」
→ 社会のルールに合わせて、自分の可能性を勝手に制限していただけだった。
手放してみると驚くほど視界がクリアになった。
何が好きで、何に時間を使いたくて、どう生きたいのか。
その“大事な部分”がようやく正面から見えるようになった。
そして気づいた。
3つの思い込みを捨てたのは、
ただラクをしたかったわけでも、逃げたかったわけでもない。
“自分の人生をちゃんと自分で選びたかった”だけだ。
その小さな決断の積み重ねが、
気づけば僕の日々を大きく変えていった。
3つを手放したその先で、僕の毎日は静かに変わり始めた。
何がどう変わったのか──
その続きは、また次の記事で書こうと思う。
あの日の変化の意味は、次のページで触れる。

